オリエンテ―リングの〈資本〉

再開しました。

3日目分の〈資本〉についてです。
オリエンテ―リング界で特別に価値をもつもの、例えばO-MAPだったりがあると思います。それをブルデューの概念に当てはめるとどうなるかを書いてみました。

では、原稿です。

 

 

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2.〈資本〉とオリエンテーリング〈界〉における〈資本〉

ブルデューの資本の概念を説明する前にハビトゥスについて、説明する必要がある。ブルデューは『実践感覚』で
 
  ハビトゥスとは、持続性をもち移調が可能な心的諸傾向のシステムであり、構造化する構造宵(structures structurantes)として、つまり実践と表象の産出・組織の原理として機能する素性をもった構造化された構造(structures structurées)である。そこでは実践と表象は、それらが向かう目標に客観的に適応させられうるが、ただし目的の意識的な志向や、当の目的に達するために必要な操作を明白な形で会得していることを前提してはいない。実践と表象はまた、客観的に「調整を受け」(réglé)「規則的で」(régulier)ありうるが、いかなる点でも規則(réglé)への従属の産物ではない。さらに、同時に、集合的にオーケストラ編成されながらも、オーケストラ指揮者の組織行動の産物ではない。(Bourdieu 1988=1990: 83-82)
 
   
と述べている。ハビトゥスは諸性向システム、つまり、構造であり、所与の社会的文化的環境のなかで人びとが習得する、無意識的ないし半意識的に機能するものの見方、感じ方、振る舞い方(宮島喬 1995)である。そして、構造化する構造として個人的・集団的実践や表象、すなわち、行動や考えを「歴史が生み出した図式に従って生産する」(Bourdie 1988)のである。
 
ブルデューはこのハビトゥスと〈界〉の関係を『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待』で次のように整理している、
 
 ハビトゥスと界との関係は第一には条件付けの関係です。界はハビトゥスを構造化します。ハビトゥスはある界あるいは部分的にオーバーラップする複数の界の内在的必然性が身体化された産物です。界どうしの交叉や食い違いがあれば、分裂した、そのうえ引き裂かれたハビトゥスの原理になるでしょう。しかし同時に、ハビトゥスと界との関係は、知識の関係あるいは認知的構築の関係です。界がひとつの有意味な世界、意味や価値を付与された世界、自らのエネルギーを投入するに値する世界として成立するのに、ハビトゥスは一役買っているのです(Bourdieu 1992=2007: 182-183)
 
 そして、ブルデューは〈界〉を支配と被支配といった力関係の場として捉えている。その力関係を決めるのが〈資本〉のは位置関係だと考えた。そして、その〈資本〉は経済資本だけではないと指摘した点にブルデューの議論の鋭さがある。
 
 実践の配分原理l'economi des pratiquesについての一般科学は、経済的であると社会的に認められた活動だけに人為的に対象を絞ることはありません。この科学は、「社会物理学にとってのエネルギー」(1980k)である資本をあらゆる形態において把握しなければならず、ひとつの種類からもうひとつの種類の資本への変換を司る法則を明るみに出さなくてはなりません。私か示したように、資本は三つの基本的な種類、つまり経済資本、文化資本社会関係資本(1968c)として現われます(それぞれが独自の下位種をもっています)。これら三つに象徴資本をつけ加えなければなりません。象徴資本は先の三つの種類の資本いずれもがとりうる形態です。それらの資本はそれぞれの種別的論理を認める知覚カテゴリーを通して把握されたとき、あるいはこういってよければ、それら資本の所好と蓄積の恣意性を見落とす知覚カテゴリーを通して把握されたとき、象徴資本の形態をとるのです。経済資本の概念について私か長々と説明すべきではないでしょう。私は文化資本の特殊性を分析してきました。この概念にしゅうぶんな一般性を与えるためには、情報資本と呼んだ方がいいでしょう。文化資本は三つの形式、つまり身体化された形式、客体化された形式、制度化された形式のもとに存在します。社会関係資本は、顕在的あるいは潜在的な資源の総和であり、程度の差はあれ制度化された人間関係、互いに面識があり会釈し合う関係の持続的なネットワークを有している個人や集団の手に入るものです。つまり、そうしたネットワークのおかげで動かすことのできる資本や権力の総和です。(Bourdie 1992=2007:131)
  
 つまり、〈資本〉には経済資本の他に文化資本社会関係資本、加えて象徴資本があることを指摘している。加藤(2015)はより詳しくこれらの資本について説明している。加藤(2015)によれば、経済資本は
 
 土地、工場、労働、貨幣など生産財、所得、資産、物的財など経済財の総体、さらにある時点で尊重されているタイプの経済的利益が含まれる。経済資本は前季の収穫の論理にしたがう農業経済と合理的計算を要求する資本主義経済では機能の仕方が異なる。経済資本は社会空間における個人ないし集団の位置に対して主要な役割をはたす。この役割は、経済資本は文化資本、社会資本にも変換されうることから、ますます重要である。(加藤 2015: 204)
 
 という。オリエンテ―リング〈界〉で重要になるものでいえば、専用の地図(O-MAP)をつくる際の場所(テレイン)となる土地がそれにあたる。また、文化資本
 
 家族から受け継ぐ、あるいは学校教育によって生産されるさまざまな能力である。文化資本は三つの様態で存在する。身体化された、すなわち身体の持続的性向、つまりハビトウスとして存在する資本は、たとえば人前でよどみなく発言できる能力、クラシック音楽を鑑賞する能力。上層階級のものとされるスポーツの技能、あるいは学歴、教養など。客体化した資本とはたとえば絵画とか蔵書、情報処理機器など、文化(的)財である。さらに制度化された資本とは諸制度、とりわけ国家によって社会的・公的に認知された財、たとえば出身校や学位、各種の資格(会計士、弁護士など)や身分(国家/地方公務員など)である。(中略)
 文化的財それ自体には普遍的な価値はない。帰属する集団・階級によって特殊的である。ある種の文化財に固有の価値を認め、その良しあしを評価する能力はやはり時間をかけて身体化される。(加藤 2015:204-205)
 
という。家族や学校教育以外にもある集団や個人の教育によって、ある〈界〉に価値をもたらす能力は文化資本といえる。つまり、例えば、スポーツでいえば競技において卓越性をみせる身体化された技は文化資本と呼べる。したがってオリエンテ―リング〈界〉においても、競技でもちいる技というのは身体化された文化資本である。また、同時にオリエンテ―リング〈界〉では〈O-MAP〉をつくり〈競技会〉を開催する。これは有形無形の文化(的)財であり、客体化された文化資本である。それと同時にこの地図の作成技能と大会運営の技能も身体化された文化資本である。そして、中央競技団体が開催する全国大会で結果を残すことや、国際大会への出場資格を中央競技団体から賦与されることは制度化された文化資本である。
 また、社会関係資本は以下のように説明している。
 
 個人や集団がもっている諸社会関係の総体である。より豊富な経済資本と文化資本の所有者との広範かつ密接な関係ネットワークを構築すれば、みずからの社会資本が増大する。社会資本を獲得・蓄積するためにはこれを作り出し維持する努力、つまり社交性が必要である。たとえば威信のある団体(商工会議所、ロータリー・クラブなど)の会員になったり、ホテルやレストラン、自宅で誕生会、祝賀会、夕食会を催したり、ハイランクのゴルフ場でともにプレーしたりなど。(加藤 2015:206)
 
 これはつまり、スポーツ〈界〉でいえば、例えば国際競技団体に加盟するすることで、国内の競技団体がもつことができる組織的な正統性や国際大会に代表選手を送ることができる権利、国際会議に出席できる権利といったもの、そして国との関係性によって補助金がつくことなどがそれに当たる。オリエンテ―リング〈界〉でとらえ直すと、国際オリエンテーリング連盟(IOF)に加盟した団体が組織的な正統性を国際的に認知され、国際大会に代表をおくることができる権利を保持している。そして、かつてオリンテ―リングの振興の中核をになった日本オリエンテーリング委員会は、国の外郭団体の一部として国家予算を執行することができた。これらは社会関係資本を持つが故に得た利益である。
 最後に、象徴資本につい、加藤(2015)は
 
 まず、象徴資本は他の三資本とおなじような資本種ではない、ということである。そして一種、二種、あるいは三種の資本の持ち主、彼(彼女)が、彼(彼女)とおなじ資本の持ち主である他者、彼(彼女)とおなじ知覚・評価の図式を身体化している他者、つまりおなじ(ビトゥスを持っている他者から認識・認知されたとき、つまり彼(彼女)がもつ資本の権力性を正当と認めたとき、その資本がもたらす利益、つまり認識・認知のレベルにおける社会的重要性(尊敬、栄誉、賞賛、名声、信頼、信用など)を象徴資本と呼ぶ、ということである(加藤 2015:208-209)

 

 
という。したがって、経済資本、文化資本社会関係資本の「さまざまな形態に価値を認める者たちが、それらの形態の資本を所有している者たちに付与する信用や権威が象徴資本」(加藤 2015)ということになる。つまり、オリンテ―リング〈界〉でいえば、IOFに加盟しているという社会関係資本が〈界〉の成員たちに認知されることによって日本オリエンテーリング委員会に付与された権威や、競技会で優れた成績を収めたことで周りからの賞賛に得て獲得した権威などが象徴資本にあたる。
 
ここまで、ブルデューにおける〈資本〉の概念を経済資本、文化資本社会関係資本、象徴資本と整理してきたが、これらに対応するオリンテ―リング〈界〉の資本は以下のように整理することができる。
 
経済資本:土地、貨幣
文化資本:競技力、地図作成能力、運営能力、O-MAP、競技会、日本選手権者、日本代表
社会関係資本:IOF加盟団体であること、国の外郭団体であること、など
象徴資本:IOF加盟団体であることによる権威、日本選手権者であるという権威
これらの概念を用いて、オリエンテ―リング〈界〉の成立について論じていくこととする。
 
引用文献
 宮島喬, 1995, 「文化と実践の社会学へ」宮島喬編, 『文化の社会学ーー実践と再生産のメカニズム』有信堂高文社, 3-10.
 Pierre, Bourdieu, 1980, LE SENS PARATIQUE, Paris, Les Éditions de Minuit.(=1988, 今村仁司・港道隆訳『実践感覚1』みすず書房
  Pierre, Bourdieu, 1992,  Réponses : pour une anthropologie réflexive, Éditions de Seuil.(=2007, 水島和則訳『リフレクシヴ・ソシオロジーへの招待 ――ブルデュー社会学を語る』藤原書店
 加藤晴久, 2015, 『ブルデュー――闘う知識人――』講談社.
 
(約4000/8h.)
 
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これを書くのに3日くらいかかってしまいました。こいつのせいで、更新が止まってしまいました。
ただ、今後話をしていく中で重要なので、後回しにできませんでした。もっと効率よくやらないと、、、